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2008年11月14日 (金)

癌の怖さは死ぬことだけではない

筑紫哲也さんが7日に亡くなり、TBSで追悼番組が放映されました。マスコミが次第に権力にすり寄り、「権力の監視役」という本来の役割を放棄しつつあるときに、また一人、反骨精神のあるジャーナリストを亡くしました。

番組は筑紫さんが残した闘病日記『残日録』をベースに進められました。日記のタイトルには『残日録=された々の記』と書かれてあったのですが、これは鳥越俊太郎が見舞いに藤沢周平の小説をいくつか持って行った、その中に「三屋清左衛門残日録」というのがあり、ここから取ったのだと後で筑紫さんから教えられた、と鳥越さんが話していました。

藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」には次のような箇所があります。清左衛門が隠居部屋でぼんやりしていると、息子の嫁、里江が入ってきて日記を見つけ、

「お日記でございますか」
「うむ、ぼんやりしておっても仕方がないからの。日記でも書こうかと思い立った」
「でも、残日録というのはいかがでしょうね」
「いま少しおにぎやかなお名前でもよかったのでは、と思いますが」

それに対して清左衛門が

「なに、心配はない」
日残リテ昏ルルニ未ダ遠シの意味でな。残る日を数えようというわけではない」

と返答します。

「残日」とは、唐詩では「残っている日(=夕日)」のことらしいのですが、藤沢周平はこれに余韻を付けて、まだまだ暮れるには時間がある=人生まだこれからだよ、という意味に使っているようで、筑紫さんの解釈とは隔たりがあるようです。もちろん筑紫さんのことですから、小説のこの部分は承知の上で、それでも「残された日々の・・・」と書かれたのでしょう。だとすると、やはり自分の命が後いくらも残されていないということを覚悟して日記を書き始めたのだいうことになります。

一時は肺がんを克服したかのように見えたのですが、「転移に次ぐ転移」と彼が書いているように、全身に骨転移していきます。それでもテレビに声だけの出演をし、総選挙で惨敗したにもかかわらず居座りを続けようとした安倍総理に「それでは民主主義はどこにあるのでしょうか」と、退陣を迫るシーンは、感動的でさえあります。

筑紫さん自身も言っていたように「安心しすぎた」のでしょうか。仕事にも精力的に取り組み、体調の悪いことも人前で悟られないようにし、「癌に勝っている姿を世間に見せたかった」(ご子息の言葉)のだとしたら、治るはずのがんも治らないのではないでしょうか。
筑紫さんの肺がんの第一の原因は喫煙であり、そして猛烈な仕事とストレスだと思います。それが癌を作ったのですから、少々治癒に向かっているからといって、元のような仕事をしたのでは転移するのも当たり前でしょう。喫煙で肺がんになるのも自己責任ですが、再発するのも自己責任だと、私は感じました。

ただ、自己責任であっても、筑紫さんとしては、自分で納得できる最期だったのでしょう。自分自身の延命のため、自分だけのために生きるということは、反って難しいことなのかもしれません。命の行く末が見え、あと何度の桜を見ることができるだろうかと人が考えたとき、残される家族のために何をしておこうか、自分の生きた証をどのように残そうか、と考えるのがやはり自然なことであり、自己中心で自分の延命のために、仕事も生き甲斐も家族も無視するということは、なかなかできないことなのでしょう。

その意味で、癌との闘いは、自分の人生観・価値観を試す作業でもあるのです。自分は何のために生きているのか、どう生きるべきか。残された日々が限られているからこそ、この問がより切実に、目の前に迫って立ち現われてくるのです。

こんな話があります。余命2ヶ月と診断された大腸癌末期のマリア・コスナーさんは、医師が自信をもって勧めた治療をすべて断わりました。彼女はこう言いました。 「恐らく私は、先生の治療を受けたら、ガンを克服できるかもしれません。でも、私は病気を通して人間の命には限りがあるということを知りました。そして、信仰を通して、人間の魂は永遠であることも知りました。ガンであろうがなかろうが、いずれにしても限りある命なら、その限られた時間を闘病に費やすのではなく、1分1秒でも、愛する子供たちと楽しく過ごしたいのです。ですから、入院も治療もしません。」

人生の目的は、人によってさまざまでしょうが、少なくともガンと闘うこと、闘病生活が目的ではないはずです。生命の誕生から150億年間の長い間、「私」という存在はありませんでした。そして「私」が死んだその後、この宇宙が続く限り永遠に「私」は存在しません。この本当につかの間、奇跡的に与えられた、たった100年の「命」の目的は何でしょうか。目的などないはずです。なかには「利己的遺伝子」などという考えがあり、生命は遺伝子を運ぶ舟に過ぎない、という主張もありますが、私は人生の目的は、あるとすれば、「たくさんの幸福を体験すること」だと思います。ですから、愛する家族と、多くの幸せな体験をすること、といっても特別なことではなく、一緒にいて、食事をして、語らって、という平凡で平和な体験こそが、もっとも幸せな体験でしょう。それに比べれば、金をたくさん儲ける、高い地位や名誉を得る、そんなことなどどれほどの価値があるのか。150年後には今地球上にいる人間はすべて死に絶えているわけで、あなたのことなど誰も記憶していないのです。

こんな考えで治療を拒否したコスナーさんは、5年後に検診のため病院を訪れました。医師は5年も元気に生存している彼女にびっくりしましたが、検診の結果末期の大腸癌がきれいに消えていることに更にびっくりすることになりました。

8月19日のブログに紹介したのですが、医師の加藤眞三さんはこのように書いています。

私の経験でも、その数は多くはありませんが、悪性腫瘍が治療もしないのに退縮した例を2人みています。二人とも宗教的に高い地位にある人で、がんの告知 や治療の説明を受けた後に、それを受け止め、自分自身で積極的な治療は受けないことをきめた人です。

ただがむしゃらに癌をたたくことよりも、死を受け入れるという心の有り様に変わったとき、癌から生還の道が開けるということもあるのでしょう。

筑紫さんは立派な仕事をし、立派に癌と闘い、立派な生き方をしました。番組には引退された野中広務、元衆議院議員が出て、「イラク関連法案などに棄権・欠席をさせていただいたのは、筑紫さんの影響です。」と言っていました。戦争を体験した野中さんだからこそ、筑紫さんのぶれない戦争反対の姿勢に共感できたのでしょう。このように立派な仕事をされた筑紫さんですが、でも家族としては、仕事など投げ捨てて、立派な生き様だと言われなくても良いから、もっと元気で長生きして欲しかったのではないでしょうか。一緒に幸福な体験をたくさんしたかったのではないでしょうか。私の勝手な思い込みかもしれませんが、そんな気がします。

「風のガーデン」の緒形拳さんの演技もすばらしいです。最期を自宅で迎えたいという患者、大病院に入院させたいという息子。このとき緒方さんの扮する老開業医が言います。「どうか、お父さんの希望を叶えさせてやってください。病院というところは、入ったからには何らかの治療をしなければならないところです。その治療は果たしてお父さんにとって有意義なことでしょうか」という意味の台詞があります。

治療をすることが常に正しい選択とは言えないのです。どんな戦い方を選んだのか、それによってあなたや私の人生観・死生観、価値観が試されるのです。

癌の怖さは、死ぬことへの怖さだけではなく、死までの過程を通して、人間の内面を素通しにし、裸にしてしまうことにもあります。

緒形拳さん、筑紫哲也さんに   合唱


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