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2017年8月21日 (月)

今日の一冊(78)『65歳からは検診・薬をやめるに限る!』

名郷直樹医師の本は、何度も紹介しています。彼の主張が私の考えに良く合うからです。

長生きするのは善なのか?

スパコン「京」の開発予算の審議で、蓮舫さんは「2番ではダメなんですか?」と言ったが、世界一の長寿国になっても「1番でもダメ」なようで、まだ健康第一だとやっています。これじゃおかしくないですか?

「健康第一」は間違っている (筑摩選書) ということを書いているのが名郷直樹医師の『「健康第一」は間違っている』なのです。タイトルだけをみると「医療否定本」のようですが、名郷医師は『EBM実践ワークブック』などの医師向けの著作もあり、EBMに基づく医療を先進的に行ってきた方です。

世の中が「健康第一」「長生き第一」「医療は万能」にぶれすぎているから、真逆の考えをあえて打ち出そうというのです。

今回紹介する著作『65歳からは検診・薬をやめるに限る!』も同じ趣旨ですが、高齢者の治療に焦点を絞って書かれています。

老人に「いつまでも元気で長生き」を強制している社会の風潮があるのではないか。人間に寿命があり、医療や薬では老化は防げないのだから、「いつまでも」は無理だと誰もが分かっている。しかし、寝たきりで家族に迷惑をかけたくないから、無理に運動し、塩分を控え、甘いものも我慢している。どこか少し調子が悪いといっては病院で薬を出してもらって安心する。

子どもが独立して、定年を迎えたら「健康第一」はやめて「今の時間を楽しむ」、高血圧や血糖値なんぞは気にしないで「おいしいものを食べる」のが得策だ。

薬を飲んだからといって、長生きできるわけではない、むしろ副作用で寿命を縮めることもある。65歳を過ぎたらがん検診もしない方が良い。早く見つけたからといって長生きできるとは限らないし、抗がん剤の副作用で返って余命が短くなる。

「ピンピンコロリ」が理想だというが、がんで死ぬのは「ピンピンコロリ」に近いのじゃないだろうか。ある日気づいたら膵臓がんの末期だった、というのは高齢者にとっては「ピンピンコロリ」の理想的な最期かもしれない。苦しいのは最期の数日からせいぜい1ヶ月程度だし、膵臓がんでも最期の日までほとんど痛みのない人もいる。

80歳になろうかという末期がんの親を、あちらこちらの病院や先進医療にと奔走している家族や子どももいる。熱意や愛情は充分に理解できるのだが、それは果たして高齢者の親にとって幸せなことなんだろうか。本人の意思を尊重してのことなのだろうかとしばしば思う。実は「息子が、もっと長生きしてと熱心に勧めるから、仕方なく抗がん剤を打っている」という患者は意外と多いのだ。

先の『すい臓がんカフェ』にもそうした方がいて、私は「もちろんあなたの価値観次第ですが、無理に治療をすることもないのでは。それよりも今の時間を有意義に過ごすことを考えては」と話した。その方は「なんだか気持ちが吹っ切れました」と納得した様子で、次回のカフェにも参加してくれました。

私は主治医に「再発転移したら積極的な治療はしません」と何度も宣言してきた。膵臓がんが見つかった当初のブログにも「人は何かの原因で死ぬ。がんで死ぬのは悪い何かではないよな」と書いたものだ。その覚悟で生きてきて「たまたま」生き残っただけの話し。

「いつまでも元気で長生き」なんぞと、不可能な夢はもうそろそろ捨てても良いのではなかろうか。そんなことに悩むより、人は老いるのが当然。がんにも病気にもなる。老いたら子どもや介護保険の世話になれば良い。ぼけや徘徊も老いがなせるものと達観し、ぼけた老人が人権を尊重されて余生を送れる、そうした社会にする方向に力を尽くせば良い。超高齢社会を迎える日本は、高齢者が幸せに死を迎える社会になれるかどうかのテストケースだろうと思う。

高齢者は検診もしない、がんになっても治療をしないも1つの選択肢です。もちろん積極的に治療法を探して挑戦するのも、その方の価値観次第で、決して悪いわけではない。

高齢にがん患者の親をもっている方には「目から鱗」かもしれません。


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がん一般」カテゴリの記事

コメント

ひまわりさん。
ご主人の4年クリア、おめでとうございます。
「いま、ここに」を大切にと、私とおなじ考えですね。
それが一番の免疫効果だろうと感じます。
一年毎に再発確率は小さくなりますから、このままが続くように願っています。

主人は術後4年クリア―しました。いつも厳しい事しか言わない主治医が順調です、と。
四年前、ステージ4aと言われ、手術で全て取れるか分からないし、取れても5年生存率7%と言われました。幸い手術は成功しましたが、術後7%のプレッシャーはいつもありました。
でも、今やれる事をやるしかない。そして、それだけ考えているのはつまらない、と日々を大切に、楽しくと思っています。それがこの四年に繋がっていると思います。

ババリーナふじこさん。
先日の『すい臓がんカフェ』でも、高齢の母親が膵臓がんで、手術ができるといわれたのに、予後が悪いからいやだといっているとの話がありました。
かといって他の治療法を探すわけでもなく、このままでは長くは生きられないことを理解していない様子でした。
「多くの膵臓がん患者にとって、手術ができるようになることが希望なのですよ。完治するためには手術以外にはありません。」と話しましたが、みなさん迷うのは当然ですよね。

そのときにはどれほど情報をもっているかが、判断の分かれ道でしょう。
80歳、90歳の高齢者なら、合併症もある手術をしないというのもひとつの選択しかもしれません。

 残暑お見舞い申し上げます。

 記事を拝読して、私自身の手術前のことを思い出しました。幸運にも「あなたの場合は手術できそうです」との診断。でも、あまりの予後の悪さ、再発率の高さを知り、数か所でセカンドオピニオンを受けました。陽子線や重粒子線、免疫療法(シェーグレンだから無理だろうけど)、IMRT、HIFU・・・ 

 これだけの時間の余裕を持てたこと自体幸運なのですが、そんなに希望の持てる話はありませんでした。私はちょっと投げやりに「もういい、このまま手術を受ける」と言ってしまいました。すると、相方は「あちこち引っ張り回して、ふじこさんを苦しめているんじゃないかって・・・ そう思うと、頭の中がぐしゃぐしゃなんだ・・・」その時、「この人を二度とこんな気持ちにさせてはいけない」心からそう思いました。

 患者さんや家族、それぞれが多様な価値観を持ち、様々な背景に彩られた人生を送っている。だから、複雑な気持ちの渦巻く中、少しでも希望に沿うやり方をさぐっていくしかないのかな・・・

 みなさんが少しでも納得できるやり方を見つけられますように。

ひぃさん。
現実には「万が一」の希望を持ってしまうので、なかなか難しいですよね。希望なのか執着なのか。
高齢者の抗がん剤は無理に続けない方がよいと、統計的にはわかっていても、統計から外れる例外的患者が常にいるわけで、「もしかして」とついつい考えてしまう。
「百まで生きてがんで死ぬ」のが理想として、80歳では?90歳では?。
人間の欲は限りがないので、いつまでたっても迷うのが性でしょうか。

こんにちは、キノシタさん。
無治療が前向きではない。と思われがちですが
前向きな無治療を選択すると思います。
母の気持ち、体力。私の考え。
明後日のPET検査の結果で聞かなければならない事をまとめていますが
目の前で普通に過ごしている母が消えてしまうと想像する事が嫌ですね。

何度も奇跡だと言われてきた母。
また、主治医を驚かせて欲しいもんです。
タイミング良い更新、ありがとうございます。

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