死生観

2017年11月11日 (土)

「死」は終わりではない。必然なのだ。

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がん細胞はアポトーシスを忘れた細胞

細胞にはアポトーシス(自死)の機能が遺伝子に組み込まれている。自らの存在が不要になったとき、自ら判断して自殺するのである。分かりやすい事例がオタマジャクシのしっぽである。蛙になるために、しっぽの細胞は自分自身で「自殺」して、しっぽが消えてしまうのだ。トカゲのしっぽのようにすっぱりと 切れてしまうのではなく、細胞が自ら分解して、構成していた成分は尿として排出される。

がん細胞はアポトーシスを忘れた細胞である。その存在は結局固体の死を必然的に招く。不要になった細胞が自死するから、個体の命が保てるのである。侵入してきたウイルスを退治したら、不要になった白血球は消えてもらわねば困るのである。

細胞の生成と死、この不断の流転の中にこそ、個体としての生が保証されているのである。

有性生殖をおこなう多細胞生物が存続するには、生殖相手を含むその種が存続していかねばならない。遺伝子の構成を変えて、環境の変化があっても、新しい環境 に適用することで生き延びてきた。多くのバリエーションをもった遺伝子をあらかじめ作っておき、新しい環境に適用できる個体が生きのびるようにするのである。(ダーウィンの進化論)

このとき、古い遺伝子をもった個体がいつまでも生きていては都合が悪い。新しい環境に適応できる遺伝子と、古い遺伝子が有性生殖によって混じっては困るのである。古い遺伝子を宿した固体は絶滅してもらわねば困る。

個体が永遠の命をもつことは、その種が生きのびるためには誠に都合が悪い。したがって生物には寿命があり、いつかは死ななければならないことになったのだろう。

「死」は種としての「生」のための戦略

アポトーシスと固体の死は、多細胞生物が進化の過程で獲得した「生」のための戦略であり、死によって生を更新することがもっとも合理的な”種としての”生き延びる戦略なのである。

つまり、「死」は自分以外の「生」のために存在しているのである。ヒトは「死」という究極において、他人のために生きることを運命づけられているのである。

我々は「死」を選択することで進化的な優位性を獲得した生物の末裔なのだ。故に「死」は終わりではなく必然なのだ。

ヒトは自分の子孫ばかりでなく他者も、そしてすべての生物の生命を救うことを目的として生きることが本来の姿であることを、死の遺伝子は語っているのではないだろうか

私たちは生物学の発展によって、このような認識を”科学的”にもつことができる時代に生きているのであるが、何のことはない、いにしえの賢者は、生と死の本質、 人の生きる意味を、真理を掴んでいるのである。遺伝子を知るはずもなかった荘子が、死生観において我々の先にいるのである。

   夫大塊載我以形
   労我以生
   佚我以老
   息我以死
   故善吾生者
   乃所以善吾死也
  (荘子 内篇 死生命也)

「夫れ大塊我を乗するに形を以てし、我を労するに生を以てし、我を佚にするに老を以てし、我を息わしむるに死を以てす。故に吾が生を善しとする者は、乃ち吾が死を善しとする所以なり」

そもそも自然とは、我々を大地の上にのせるために肉体を与え、我々を労働させるために生を与え、我々を安楽にするにために老年をもたらし、我々を休息させるために死をもたらすものである。(生と死は、このように一続きのもの)だから、自分の生を善しと認めることは、つまりは、自分の死をも善しとしたことになるのである。(生と死との分別にとらわれて死を厭うのは、正しくない)

        岩波文庫 荘子第一冊 金谷治訳注184ページ

メメント・モリ(死を想え)は「他者の死を想え」ということかもしれない。生と死は断続したものではなく、分けることはできないのであり、死を忌み嫌い恐れることは道理に合わないのである。

がん患者であるからこそ、死を想い(メメント・モリ)、他者を想い、死と分かちがたい今日一日の生を充実することができるのではなかろうか。

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